昔は見て覚えるのが常識だったのだが・・・
昔の先生方は質問が多いのを嫌いだったのですね。「楽して難儀しないで答えを得ようとする」事を嫌ったんですね。これはすべての習い事にいえたのではないでしょうか。たとえば大工でもカンナガケやノコギリを研ぐとか指導はしなかった。「昔は見て覚える」というのが常識でした。
指導はマンツーマンが望ましい
道場での指導方針もあまり「教える」ということはしない。皆自由に稽古させている。人間は体力も違うし、修業の長さも違うので一律に同時に指導することは難しい。先輩が後輩を指導する、後輩が先輩に指導を仰ぐ。そのことによって先輩、後輩のけじめが生まれ、また友情が生れる。好ましい人間関係が形成されていくのである。
競技中心は生涯武道に繋がらない
競技についてだが、最近、競技が多すぎる傾向にあると思う。基本や鍛錬するゆとりがないようである。学校の部活動でも勝負に勝つためだけに稽古するので長続きしない。卒業と同時にやめていく生徒が多いといいます。もっと基本とか鍛錬をやれば空手のよさがわかってきて生涯武道につなげていけると思います。今は競技中心になる傾向があり、競技生活が終ると空手から離れてしまう。
型の試合について
試合の中でも型試合はないほうがよい。型は先輩方が実践で経験した技を学ぶために考案した。型試合しておかしいのは「止めたら悪いところを止めたりしている」ということである。型そのものの意味が失われていくのではないかと危惧している
(「温故知新 手を語る会創立二十周年記念誌」(平成21年3月)より)