大会を振り返って(一般部女子)

 
  趣味や習い事は続けなければ意味がない。続けることで気付きや理解が深まり、より上達していく。正に「継続は力なり」である。一般部塾生の入門に際して、常々言っていることは「生涯武術と云われている沖縄の伝統空手の稽古は、実に地味です。そして続けなければ意味がありませんよ」と。(塾長)
  
(「型競技・一般部級クラス」に参戦した三名のレポート)
  
 去った10月16日に、全沖縄空手道連盟選手権大会があった。今年の2月から空手を習い始めた私にとっては始めての大会、始めての試合、何よりも心配していたのは、真っ白な胴着を着ての大会という、公式な場所に立つ自分を想像すると、なんとなく恥ずかしい気持ちだった。そんな気持ちで迎えた本番は、あっという間に初戦敗退という無残な結果に終わってしまった。6月から、この大会に向けて「撃砕Ⅰ」を何時間も練習してきたのに、試合はほんの2.3分のことだった。 覚えていることといえば、選手の名前が呼ばれ、返事をし、お互いに礼っ、緊張に負けないように「撃砕Ⅰっ」と大きな声で言ったことまでは覚えているが、その後の記憶は曖昧だ。
  
思い返せるのは、自分の演武が終り採点を待っていた。 覚えていることは、練習通りにやったはずなのに、息が上がっていた事だ。 型の間を持たせることや、練習するときに注意していたことは、すべて忘れていたというか、頭の中から真っ白に抜けていた。他人の前に立ち演武をするということは、自分の頭の中を見られるようなことだろうと思う。 それは、発表や緊張する場面で、頭の中が真っ白になり、今まで考えてきたことが一瞬で消えるという事はあるが、それは考えてきたことに曖昧な部分があると、それを見透かされてしまい、緊張で頭の中から消えて、綺麗さっぱり真っ白になってしまうということだ。
 
練習を重ねていたつもりだったが、自分の心のなかには、まだまだ刻めていなかったのだろうと思う。 それは、どんな練習方法なのか考えると、型を追いかけることも大切だが、型の流れを考え、想像することも大切だと感じた。考えて練習しなさいとは、そのようなことだと思う。(T.K. 参級 白帯)
 

 

 私と空手との出会いは、ある空手演武を観に行ったのがきっかけです。小さい頃は、空手というのは瓦を何枚割るだとか、ヌンチャクを振り回すだとか、男性が行うイメージでしたが、そこで観た女性陣の逞しい切れのある力強いみごとな型の演武は、気迫に溢れ感動的でした。(完全に心を鷲づかみにされました。)
 
れから数日後、たまたま同じように興味を持っている友人との話題から道場探しに発展したわけですが、2,3箇所リサーチした中で人間塾が決めてとなったのは、立地もそうですが、電話での応対や見学に行った際に、ド素人の私達を快く歓迎してくれ、沖縄空手を是非学んでほしいと、熱心に話されていた塾長の人柄にありました。小さな道場ではありますが、綺麗に整理整頓されていて雰囲気の良さを感じましたし、何より女性の空手家がいるというのは心強い大きな要因でした。 体験をひと月ほど過ぎ、真新しい胴着を身につけての稽古は、恥ずかしいような嬉しいような・・・ (^_^)v
 
予備運動と称する基本のストレッチや足の運びを先輩方から何度も親切丁寧に教わる日々を通過すると・・・・・・、次は容赦なく、怒号が飛び交う中、どつきを浴びせられるなどの厳しい稽古へと。 ^^;  息切れ、汗まみれのミット打ち・・・・・と、遥か懐かしい部活の練習のような稽古の数々に、いささかうろたえながらも、日々鍛錬に励んでいます。
 
型の稽古においては、見るのとやるのとでは全く違いました。塾長から上半身が硬いとよく注意を受けます。自分自身では肩に力を入れているつもりはなく、突きという動作において突くということに力を入れているに過ぎないのですが、下半身が弱い分、上半身に余計な力が入いり、なんともカチンコチンな動きになってしまっているようです。型の突きや引き(注:突きにおける引手のこと)は腕だけで行うのではなく、足腰など身体全体を使って行う。特に引くときには、身体全体で意識して足・腰・腹・脇・肩・腕などそれぞれの筋肉を締めて引くのである。つまり、突く瞬間は身体を開放して、引く瞬間に身体を締めるということになります。言葉で表すのは簡単ですが、まだまだ頭で考える動きと身体はかみ合いません。
 
そんな最中、沖縄空手道選手権大会に参加することになり、大会に向け同じ型を何度も繰り返し、熱の入ったご指導のおかげで、突く時の引きを少しずつですが感じるようになった気がします。大会申込みを促された時は、わずか数ヶ月で? 冗談? 無理! と消極的でしたが、緊張と興奮の中、大勢の選手や審査員の前での初めての競技は、どうにか間違えずに練習通りの型をやり遂げることができたように思います。結果は0-3の惨敗でしたが、清々しい気持ちと、貴重な体験をさせていただいたことへの感謝の気持ちでいっぱいでした。来年は是非勝ちたい!再来年は是非入賞したい!と闘志が湧いています。
 
入塾して早9ケ月を迎えました。一進一退、老体にムチ打ちながらですが、素晴らしい良き先輩方と、塾長自らご指導いただけるこの人間塾の有難い環境のもと、これからも精進して行きたいと思います。(N.Y. 参級 白帯) 


  

 

 空手の世界から離れて約17年、その間に就職、結婚、出産、育児と毎日の生活を慌ただしく過ごす中で、常に心の片隅では「またいつか空手を始めたいな・・・」と思っていました。そんな中、主人の転勤で沖縄に住むことになり、空手発祥の地だけあって、空手に関する情報を耳にする機会が増え、私同様、息子も空手に興味を示すようになりました。
 
これは、私にとっても予想外に嬉しいことで、「いくつかの道場を見学させていただいてから入門を考えよう!!」と息子と話し合い、まず人間塾から見学させて頂いたのですが、なんと言いますか・・・不思議な縁とでも言うのでしょうか・・・私も息子も他の道場に見学に行くとゆう気持ちはまったくなくなってしまい、人間塾に入りたい!!と言うその気持ちが一つにまとまり、今年の一月から入門させていただくことになりました。
 
 初めは、与儀先生と濱中先生の教えの中で子供たちのフォローをするかたちで入らせていただいたんですが、まず子供たちの名前が覚えられず、そのことで自分の気持ちを子供たちに伝えることができず、また、子供たちにしてみたら「急に先生みたいなことして、誰だこのおばさん?この人が教えることができるの?」と、戸惑いも感じとれ、子供たちに遠慮して伝えたいことも伝えられずじまいでした。
 
が、子供たちが一生懸命稽古に励んでいる姿を見て、自分も一生懸命子供たちにぶつかっていかないと、何も始まらないと気づかされ、自然と名前を覚えて、そのうちに子供たち一人一人のクセ、良い面、悪い面も見えてくる様になり、その子に合った伝え方を学べる様になりました。
 
そうこうしているうちに、子供たちに教える立場になって日々感じていることは、「子供たちに教えているようで、逆に教えられている、気づかせてもらっている」と言うことです。これは自分の練習をしている時に特に感じます。
 
学生の頃に習っていた空手とは動きが違い、型一つ一つの動きにも、何故、この動きをするのか?を理解した上で型をすると言うことが、どれだけ大切か、今になって気づかされました。恥ずかしい話なんですが、学生の時に習っていた空手は、先生の真似をしているだけで、型一つ一つの意味を理解しようとしていなかったのに、自分は出来ていると大きな勘違いをしていました。
 
この自分の経験を積んで、真似をするだけではなく、ひとつひとつの意味や型には心がある! ということを子供たちに伝えていきたい! その為に自分も日々努力を重ね、沖縄で出会った剛柔流・与儀先生の空手を心に刻みこみたいと感じています。
 
入門してからの10ヶ月、すっかり空手の虜になってしまいましたが、今まで四つの大会の引率、監督、選手を経験して感じたことは、沖縄の空手のレベルの高さです。目力、姿勢、気合い、これらを子供たちが大人の様にこなしていて、空手に対する心構えの違いを見せつけられ、すごく刺激を受けました私同様、子供たちもそれは感じている様で、大会では口惜しい思いはしたけれど、それが良い経験になって、練習に対する態度が以前と変わって見られる子供たちも数名いて、やはり、こんな刺激は大事だなと思いました。
 
私自身も選手として学生以来の大会を経験して、正直、緊張しました。ですが、ワクワクもしました。嬉しいことに優勝することができましたが、心の片隅では、全然満足していない自分がいます。それはきっと剛柔流の空手の奥深さを知れば知るほど感じる気持ちなのではないかと思っています。うまく言葉では言い表すことができないのですが、まだまだひよっこの私が、剛柔流沖縄の空手に出会い、空手に対する奥深さを知って歴史の深さを学んで、終わりがない今のこの気持ちをすごく楽しんでいます。
 
まだまだ先は長いのですが、沖縄に居る間は、与儀先生、一般部のみな様、中学生、少年少女の部の子供たち、そして陰で人間塾を支えて下さっている保護者の皆様に感謝の心を忘れずに前進して行きたいと思います。これからもご指導よろしくお願いいたします。(A.M. 弐級 緑帯)
 

お母さんの想い

○ 入門してもうすぐ一年目を迎える息子。先日、稽古終了間際、道場を覗くと生徒たちが円になり相撲をとってました。帰り道息子が「人間塾に入ってよかったぁ。先生はとても楽しい。」とのこと。 きびしい中にも先生の優しさ・思いやりあり、きびしい稽古以外にも楽しさを取り入れてくださり感謝しております。息子のこれからの成長がなにより楽しみです。“継続は力なり” 息子にはこれからも頑張ってほしいです。そして、先生これからもよろしくお願いいたします。
  
◆ 新しい環境に飛び込むのは、子供にとって初めはとても不安だったと思います。親としても、はたして人見知りの我が子はやっていけるのだろうかと不安でした。今でもまだ、練習中は緊張気味なのかなとも感じます。入門して約2ヶ月たち、厳しくも優しい先生と楽しい仲間たちに囲まれ、週二回良い汗をかき通っています。心身共に強く、たくましく、礼儀正しく…。親の思いはたくさんありますが、人間塾で剛柔流空手を楽しく学ぶことで、これからの人生で、本人の自信につながっていってくれたらなぁ、と望んでます。
 
 
 
○ 人間塾にお世話になって2ヵ月程になります。子どもは稽古で習ってきたことをよく家でして見せてくれます。同世代の子がたくさんいるのでよい刺激を受けながら頑張っているようです。先月は公開稽古があり稽古の様子を初めて見させてもらいました。子ども達の真剣な眼差しと、きびきびした動きに感心したと同時に、我が子の成長も感じることができ嬉しかったです。厳しい中にも家庭的な雰囲気があり、子ども達の体調面にも気遣ってくださるので安心してお任せしています。まだ始めたばかりですが、空手を通して礼儀正しく、そして心身共にたくましくなってほしいと願っています。
 
◆ 入塾のきっかけは空手を通しての礼儀と体づくり。転勤族の我が家は沖縄ならではの空手という思いからでした 見学を終えて、次の日に年長・年少二人の入塾を決め、4月からお世話になっています。この4ヶ月で大きな変化は体が柔らかくなったことです。子供たちは「空手が楽しい」と言い、稽古が終わり家に帰ってきてから、時間のある時などは終わったことの復習(?)で、2歳の三男も交えて空手遊び(?)をしています。今は子供が楽しいと熱中していることを第一とし、あとどの位人間塾の空手を体に刻むことができるかわかりませんが、これからもご指導宜しくお願いします。 
 
○ 「礼節を身に付けさせたい」「精神面で強くなってほしい」「自分の身は自分で守れるように」という親の思いから見学に訪れ、入門すること二ヶ月。今では子供たち自身が楽しんで喜んで通っており、どんなに疲れていても「空手は絶対に行く」という気持ちが見えます。型を習いだしてからは家でも二人で競い合い、時には教えあいながら、真剣な面持ちで構えています。「見るのも勉強」という事も教わったようです。今はまだ大きな変化は見られませんが、一年後、道場の教えが身に付き逞しく成長した姿を見られることを楽しみにしています。 
 
◆ 空手を初めてまだ日が浅いですが、家で楽しそうに型や予備運動などをやって見せてくれます。体は勿論ですが、精神的にも強くなって欲しいと思っています。